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植野稔の自然遊悠学 イワナだ! ヤマメだ! 山菜だ! きのこだ!!

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2012年 03月 01日

1827 定点観測

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三依太郎桜。
日本人であれば、開花した桜を見て、不愉快になる人はほとんど存在しないと思われる。
例外として「桜花を見て怒りまくる」こんな人がいれば、私の桜花持論を保持しているから、桜花の良さを解説納得してあげる自信がある。
一般人であれば、桜花開花時期にやってきて満足するであろう。
確かに桜花満開3日間になれば、全開させる桜花の見事さは納得するに十分な樹木である。
最近、1本木桜撮影カメラマンを見かける。
特に古木桜となれば桜見物ツアー一行がやってきて、異常な混雑となる。
桜は日本人好みにぴったり合う。
日本3名桜なる老樹があって、それらは桜自身で樹木重量を支えられることなく、支えやぐらのおかげでかろうじて自生している。
樹木医なる桜管理者のもとて生き延びさせられている。
まさに傷だらけの英雄のようだ。
開花から散るまで2週間余、満開、そして一斉に桜散る、この桜気二点があるから面白い春の風物詩を展開させてくれる。

確かに桜は可憐で綺麗である。
けれども桜花が終わる桜葉新緑、この時期に太陽の恵みを受け、光合成によって桜木を育てる。
晩秋にかけて桜葉は散りゆく。
長い長い冬になれば冬芽で越冬し極寒に耐えなければ生きられない。
春の新緑、夏の青葉、秋の紅葉、落葉裸桜木があってこそ、桜花という満開の桜花を遊覧できるのだ。
たった2週間だけ桜見物したでは桜樹木の真髄に触れることはできない。
2012年、この太郎枝垂桜を追求してみたい。

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今日の男鹿川。
掃いて捨てるも掃いても誕生する写真家といえる人物の中で、私自身唯一認める土門拳がいる。
脳梗塞による半身麻痺に負けることなく、冬の室生寺撮影に挑んだ話が残っている。
リアリズムを徹底して追及した土門であっても、彼最後の撮影の際、室生寺雪化粧させた写真があって、えらく感動した覚えがある。
「室生寺に雪が載った」宿の女将からこう告げられた土門、待ちに待った撮影の瞬間、逃げる風景を追尾し、涙を流しながら雪の室生寺撮影を実施したのだ。
若い土門ならこんな無駄時間は費やさなかったけれど、老土門になってしまったそのとき、リヤリズムを捨ててしまい、雪という化粧品を室生寺に着せたのである。
「鬼の土門」といわれた彼が「仏の土門」に変わった瞬間であった。

写真という芸術、時には鬼となり、時には仏となるものと考える。
カメラのシャターを切れば、その瞬間風景を記録できる。
土門拳のように芸術写真は自分には撮れないものの、せめて冬であれば雪という小道具を使い、その日一番良好な瞬間写真を撮影しようと心がけている。
芹沢橋からの男鹿川記録が本日の1枚の写真となった。

by yuyugaku-ueno | 2012-03-01 12:03 | 下野・会津だより


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