植野稔の自然遊悠学 イワナだ! ヤマメだ! 山菜だ! きのこだ!!

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カテゴリ:下野・会津だより( 385 )


2008年 03月 05日

84 今日の下野

今日の下野

9時10分、只今の室内温度、1度。天候曇り。
 今日は寒い日。

無料でいただける、太陽の恵みがないから、全日本貧民連合会(仮称)を代表する吾輩には、こたつ、電灯の電気代がかさむ。
 けれども、自然遊悠学には朗報。山の幸が一気に芽を出す、春本番を迎えるより、少しずつ暖かくなったほうが、山全体には好都合になる。
 じわり、じわり雪解けする山の貯水量蓄え能力を考えれば、自然のなりゆきに叶っている、今日の天候だ。

山の渓流を絶やさない豊かな渓水は結局、幾重にも重なる支尾根、本尾根が複雑にあって渓流流下速度を遅らせている。
 「山は巨大なダム湖」であり、人間が造った人工のダム湖と全く同じで、山は渓流水の一時預かり天然水タンクなのである。


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by yuyugaku-ueno | 2008-03-05 09:56 | 下野・会津だより
2008年 03月 04日

79 下野だより 三寒四温よ、ありがとう

 今日の下野 三寒四温


8時45分、只今の室内温度は1度。外は細かい雪がちらついている。時折、陽射しがあり、2月に比べて暖かい。これぐらいの気温なら、手がかじかむことはない。
 昔から、この時期になれば、「三寒四温」といって、序々に暖かい日が増え確実に下野でも、待ち遠しかった春がやってくる。

春といえば、3月21日から解禁になる渓流釣りだ。まだ山麓は雪景色だが、雪見しながらイワナ、ヤマメを釣る風情は悪くない。
 今年度から、地元の漁業組合員に参列したので、正々堂々と男鹿川解禁日に出動したい。
 改めて考え直してみれば、下野に住んでいる限界集落民の一人として、渓流解禁をひたすら待つ楽しみしか、生きていくうえで残された願望のない、情けなさを披露させてしまいそうだ。
 まあ、一つでも希望があれば幸福なのか? 還暦を過ぎれば、「棺桶に片足を入れたり入れ戻したり、この繰り返し」と吾輩が先日、里帰りした同年代の古友はしみじみと語っていたことを思い出した。
 愚痴はおしまい。

先々先日、我が家へ遊びにきた宇都宮在住の友人いわく「フキのとう」天ぷらで食べた。こんな話しをしていた。もしかすると、解禁釣行でフキのとうに出会える可能性がある。さもすれば、山菜採集という二つ目の希望の星を夢見る期待は大きい。
 「ウーム」なるほど。“釣りと山菜”これだ。吾輩が主催している自然遊悠学精神に当てはまる。3月の楽しき些細な目標はできた。

 三寒四温よ、ありがとう。と感謝する今日の心情である。


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by yuyugaku-ueno | 2008-03-04 09:55 | 下野・会津だより
2008年 03月 03日

71 会津を理解する

  会津を理解する


生まれ育った生家を故郷とする。当然、異論はない。「昔の田舎は良かった」なにがといえば、故郷らしい風情があった。
 「故郷は遠くにありて想うもの」こんなことわざがあり、田舎を離れた者であれば大方、理解してくれるだろう。年を重ねれば誰でも、幼少時代、父母のことなど妙になつかしい心境になる。

話題を趣味世界の故郷へ移す。すると会津が浮かび上がる。
 渓流釣り趣味の分野で「あの山を越えれば桃源郷」自分の渓流縄張り外、特に遥か彼方の奥山に、夢のような釣り場があると憧憬を抱く。こんな理想の釣り場を求めて、足繁く会津詣でを実施した、渓流修行時代があった。
 無我夢中のなかで渓流釣行を会津地方という山国でおこなった、その理由を以下に述べ、会津の良さを考えてみたい。

1 雪国
 日本有数の豪雪地帯が会津を襲う。厳冬期になれば、一日の積雪は一メートルに達することがあり、通算積雪量、数メートルと都会人には考えられない雪をもたらす。
 会津の人々には厄介者の雪ではあるが、雪国らしい趣は悪くない。

2 原始林
 会津に相応しい只見町、大半は国有林。山々にブナ、ミズナラの原生林があり、同時にブナ・ミズナラ文化圏を伴っている。
 日本の屋台骨を支える脊梁山地を成す会津、稜線を辿れば尾瀬、奥只見、奥利根の続いている魅力的で未開の山が展開している。

3 山の幸
 渓魚、山菜、きのこ、木の実の豊山地になっている。
 積雪、原始林の影響で、山々は緑一色。面白い山の幸フィールドを約束している。


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by yuyugaku-ueno | 2008-03-03 07:39 | 下野・会津だより
2008年 03月 02日

56   今日の下野

今日の下野 
3月に入り、日増しに暖かくなっている。
 今年の積雪は昨年を上回り、順調に推移しています。
 雪が多ければ、渓流の水量は増え、渓魚の成育に役立ち、3月21日解禁に向けて良好状態。今年のイワナ、ヤマメ釣りは期待持てそうだ。

 渓流釣りと同時進行する山菜。これも雪の量によって、生育が左右される。今年は昨年以上の収穫ができそうだ。今から楽しみにフキのとう発生を待ち望んでいる。

 最後のきのこ。
 当然、雪の多少に過大な影響を与える。一見、きのこ発生と冬季積雪は無関係に考えられているが、きのこ自生地に大量の雪のある年はきのこ豊作と言われている。従って、今年のきのこは法昨年と予想している。

 
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by yuyugaku-ueno | 2008-03-02 08:47 | 下野・会津だより
2008年 03月 01日

50 下野の国を理解する

下野の国を理解する



世の中流れにまかせながら流され、辿り着いた漂白地先が下野の国だ。
早くも6年という歳月が過ぎた、と、いうより年を重ねれば、階段を転がり落ちるがごとく、あっという間の時間しか記憶に残っていない。
 6年間。何もしなかったといえば、それは違う。6年時間という時空経過に自分なりの時を楽しんだ。

余談ながら、時間に対する費用というものがあることに、お気づきだろうか? 例えば、自分に使える自由時間の賃金のことにあたる。簡単にいうと、会社経営者は会社という魔物に拘束され、自由時間は少なく過大なストレスを生み、その代償として高額な報酬をもらえる。

社長業に比べて、我が勝手放題、どこへ行こうとも自由行動、右に興味あれば右に。左に興味あれば左へ。その日やりたいことがあれば、それをやる。家庭がないから自由。こんな開放された自分だけに使う、空間空時間は寝起きしてから寝るまで、自由に使える。
 自由という時間を頂戴しているものの、その反作用は当然起こる。「貧乏」という、お金不足である貧困生活が待ち構えている。
 「霞を食って生きる」我が理想の生涯なのだが、清貧を地でいくにしても、多少の給金は必要だ。そこで考えたことは自然遊悠学である。我が半生を棒に振ったイワナ遍歴の中で育まれた山知識を披露し、同胞の諸氏から報酬を戴くことにした。
 以上の視点で標着地、下野の国を活動拠点に決めた次第である。

かなり話しが横道にそれた。毎度の事ながら、この項のパソコン文字入力も、我流自由人生哲学のごとく、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと寄り道している、我が低級頭脳にあきれるばかりだ。読み手から我がブログの内容については、誤字、文の繰り返し、勘違い文字を度々発見しているだろう。個々でいえること、「無我夢中で一生懸命」これだけは真実一路路線を外していないつもりである。またまたまたまた、遺憾の意を政治家風に申し上げておく、我が言い訳自分流である。

下野の良さ
 「住めば都」といえば、自分の居を構え、住んでみればそれなりの良さがあることの例えだ。
 自然遊悠学の家からマイカーで走ること10分。栃木・福島県境稜線に着く。周辺は山また山の中、その西尾根を辿ると、尾瀬、奥只見、越後山地へ続いている。東尾根を歩くと、男鹿山塊、那須連峰の山々になる、いわゆる海無し県にあたる。
 我が故郷、埼玉県春日部周辺に半生を暮らした結果、南下すれば海という開放された空間があるのに対して、山国の閉じ込められた山空間には閉鎖的な山村文化住居民独自思想が生まれ、これを紐解く作業はかなり面白い。おいおいその詳細解明に至れば、時期を見て発表する。
 下野の国を一言でいえば、北方に関東脊梁山地を有していることだ。海がないから、山という山地で、生活の糧、精神的な安らぎ、よりどころを求めた。
 山村に関する山の幸、下野で有名なことを以下に紹介する。

きのこ
 下野郷土料理、チタケ茄子炒めに欠かせない、チチタケという夏に発生するきのこをチタケと呼んで、この時期、チタケ騒乱争奪戦が雑木林で展開される。
 それは下野の民を総動員させる チタケ大捕り物になり、豊作年では生死を賭けた死に物狂いの熱き戦争になるぐらいだ。こんなことをいうと、海ありの民人には理解不可能だろう。私がオーバーに表現しているのではないかと、誤解されそうだが、チタケをめぐる下野の民の想像をはるかに超える、異常で過激なチタケ執念は尋常ではない。
 チタケ狩りでは下野の民一人一人、殺気立っていて、近寄りづらい恐ろしい形相で血まなこになりながら、きのこ狩りをする。
 及ばずながら、我が輩も下野住民として、チタケ賛歌に同調している。

山菜
 名の知れた山菜なら迷わず採集する。下野の民それぞれ持っている、縄張りを循環するが、きのこ狩りのような執念は控えているようだ。

渓魚釣り
 山梨県、群馬県、栃木県を渓流釣り三羽烏と呼んで、異常と思える執念で臨んでいる。三県民が通った跡にはぺんぺん草(ギシギシ?)も生えないくらい、渓魚掃除をする。それだから餌食にあった他県民とのトラブルは絶えない。マイカーのタイヤパンク事件は有名な事実である。
 裏を返せば、渓流つり三羽烏、三県釣り人の手腕は本物である証拠。ある意味では自慢できる誇りでもあろう。
 我がホームグランド東北の山で、いわゆる渓流の猛者に出会ったことがあり、吾輩も意地で対抗したが、集団の猛者連中には歯が立たなかった。それは一種の渓流信仰のような剥き出した闘志だった、事実を35年ぶりに想いだした。

鮎釣り
 アユ釣りはほんの少しやったことがある。しかし、自分の釣りに合わないから止めた。けれども、栃木県ではかなり繁盛している。然るに渓流釣りが泥臭いヤボな釣りに対して、アユ釣りは金銭的に余裕のある釣り人向き、そんな印象がある。


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by yuyugaku-ueno | 2008-03-01 11:15 | 下野・会津だより