植野稔の自然遊悠学 イワナだ! ヤマメだ! 山菜だ! きのこだ!!

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2009年 07月 10日

666 幼い頃の友人を訪ねる

4ヶ月ぶりの帰郷
年齢を重ねると、妙にふるさとが懐かしく想い出される。
幼き時代、といっても昭和30年代、今から50年前の子供だった頃、粕壁という埼玉の田舎で私は育った。
不肖そのものだったから、田舎の悪がきとして、近所の兄貴、同級生と良く遊んだものだ。
遊ぶ道具はないから、ちゃんばら遊びはお寺のサンゴジの枝をノコギリで切り、刀をこしらえて遊んだ。
その幼友達が一人減り、また一人減り、最後に残った一人の友人が、私の故郷の残党である。
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桐箱の伝統工芸師となっている、50年来の友人。
チャランポランな私の性格と違い、正統派である真面目人間の代表といえる。
当然一姫二太郎をこの世に残した立派な人である。
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友人の姫が生んだ長男、只今1歳ちょっと、現在風邪気味で鼻たらし状態である。
私にも1歳時代はあって、その記憶は一切ないが、この子のように自由奔放ではない恵まれない子供だったようだ。
この子を見ると、夢が未来に向かって、無限大に展開されているような気がする。
子供には無限の可能性を秘めた将来がある。
今から鍛えることによる、職業の選択自由があるから、実にうらやましい限りである。

私事で恐縮でありが、イワナ、山菜、きのこの3種しか選択肢はなく、これら狭い領域での生活を余儀なくしている事実に対して、一抹の寂しさを覚える現在の心境である。
我が予定の命を100とすれば、とっくに半ばは経過してしまっているから、100歳の死に向かい、まっしぐらに進行中だ。

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友人の姫子を抱っこする。
もみじのような手、雪肌の顔、前歯2本、下歯2本、これから乳歯が生え揃い、やがて逞しい男に成長することを願うばかりだ。

及ばずながら私の青年時代、何度か家庭を持てるチャンスがあった。
家庭とイワナを安易のみで比較検討した結果、イワナ道を選んだ。
今となっては引き返せない位置まで来てしまい、その目的を成就させることが唯一の生きがいとなっている。
あの時、家庭への道を歩めば、古い友人のように、孫の一人や二人がいてもおかしくない年齢になっている。
分岐する二つの道を同時進行することはできなかった。
イワナ道を歩んだだことに、後悔が一切ないといとはいえない。
今のところ、これでよかったのだと、前向きで事に当たることが最良のようである。
私のイワナ道、それはヒマラヤの高峰アタックのように、自分とイワナの交情があって、前人未到の領域をたった一人で突破する、他人には味わうことができない快感があるのだ。
誰も歩かないイワナ道への挑戦は今後も続けて行きたいと思っている。
イワナ道の果てでのイワナとの出会いで、最終ゴールはあるが、無償の金字塔がそこにあるのみだ。
何時の日か最終点イワナとであった瞬間が、私の寿命が終わるときである。
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by yuyugaku-ueno | 2009-07-10 16:14 | 身辺雑記


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